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【僕が医者になるまでの道のり①】これが宿命?友人の付き添いで医学部受験

[2023.12.27]

はじめまして。
統合医療の道をじっくり進んでいる医師の堀田と申します。

 

 

 

 

 

 

 

 

まずはじめに自己紹介を兼ねて、
なぜ僕がこの道を歩くようになったのかをお話ししたいと思います。


そもそもなぜ僕が医者になったのかというと、
それは「宿命」の一言に尽きると思います。


小学5年生の時、僕は中学受験を目指して予備校の説明会に行きました。


その時の予備校の先生から、

「今から高校3年生までの7年間、死ぬ気で勉強して早稲田大学か慶応大学に入学すれば、その後の人生は遊んで暮らせるし、女の子にもモテ放題。その代わり、土日を含めすべての休みを勉強につぎ込みなさい。」

と言われました。


その頃アイドルになりたい願望があり、オーディションを受けるも落選してばかりだった僕は、
その話を聞き、とにかく一生懸命勉強して早稲田か慶応大学に行こうと決意し、すべての休みを勉強につぎ込む日々を送りました。


残念ながら中学受験は失敗してしまいましたが、
高校3年生の夏の模試では早稲田・慶応大学がB判定という結果が出せるようになっていました。


その結果に少しホッとしながらも、入試に向けてその後も勉強を続けました。



当時、早稲田・慶応大学以外に行く気はありませんでしたが「国公立大学も受験してみようかな。」と思い始め、
受験する大学を考えていました。



そんな時、予備校で隣の席だった心配症の同級生に

「僕はこのままならおそらく志望校のS大学(旧帝大)の医学部に合格できると思うけど、絶対合格したいから1ランク下げてA大学(地方国立大学)の医学部を受験しようと思う。ただ、生まれてから一度も他の県に行ったことがなくて怖いから、受験に付き合ってほしい」

と言われました。


どのみちA大学の受験日にひまだった僕は、

「いいよ、A大学まで着いて行ってあげるよ」と伝えたのですが、なんと
「一緒に受験してほしい」とお願いされてしまったのです。


そんな流れで僕は、友人の付き添いでA大学・医学部を受験することになったのです。


僕は事前にA大学受験前に本命の早稲田・慶応大学の受験が済んでおり、手ごたえも感じていました。
「きっと合格しているだろう」と思っていたので、A大学の受験には気楽に挑みました。



しかし、結果は予想外のものとなりました。



僕は本命の早稲田・慶応大学に不合格
付き添いで受験したA大学の医学部のみ合格

となったのです。


この結果は当時とてもショックでしたが、これ以上勉強する気力が全く残っていなかった僕は、浪人して早稲田・慶応大学受験に再チャレンジはせず、地方国立大学であるA大学・医学部に入学することにしたのでした。 



【僕が医者になるまでの道のり②】につづく

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